雪のふる里は、人と自然の再生工場です ー 雪ふる里村

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雪ふる里物語
THE STORY OF YUKIFURUSATO

雪ふる里物語の写真

1998年、雪が降るモノトーンの世界から始まった小さな夢。
昔の“山遊び”の夢、皆で造る古民家の夢、
そして、その夢の続きを未来に繋ぐ大きな物語の始まりです。

第1話 こんぱすの会

こんぱすの会とは

こんぱすの会は十日町市川治地区の有志による“明日を語る会”としてスタートし、その後に“雪国おこし”の羅針盤役として「こんぱすの会」と命名されました。

当初はバブル崩壊後の地域振興に危機感を覚え、地域の雪まつりを機に一過性のイベントではなく将来性と継続性のある活動として、市内各地の振興状況の視察や地域の見聞を広げ、地区内の荒廃する里山丘陵地を整備し“交流が生まれる場所づくり”として活動が開始されました。

雪国おこし

雪国おこしの写真
1993年撮影

“地域おこしは雪国おこし”と位置付けて、冬の雪国から四季の雪国を基調な資源と捉え、その魅力の発掘と付加価値づくりで雪国の精神文化に光を当てる活動です。

私達の住む地域は日本有数の豪雪地帯として有名ですが、雪国の人達はその暮しを“我慢”はしても“自慢”にすることはなく、むしろ、恥ずかしいこと、嫌なことになっています。

しかし、関東圏から1~2時間で非日常的な景観と暮しが体感できる雪国には、何処にも負けない豪雪地特有の自然と文化があり、現代社会が求める物質的な“豊かさ”ではなく、未来に繋がる本当の“豊かさ”が隠されています。

こんぱすの森づくり

こんぱすの森づくりの写真
2005年撮影

長い間の管理放棄によりジャングル化した杉林と雑木林を整備し、人と自然が共生し交流が生まれる場所づくりとして“こんぱすの森づくり”が始められました。

当初は斜面に残る細い山道を頼りに、徒歩・手作業・手弁当で月に1~2度の枝打・間伐・下草刈り作業の繰返しで、先の見えない“夢”からは脱落者が続出でした。

丁度その頃、隣接する場所で1994年から土砂採取事業が続けられ、整備が進む“こんぱすの森づくり”と共に跡地利用への夢が徐々に膨らみ始めました。

桜の丘公園づくり

桜の丘公園づくりの写真1桜の丘公園づくりの写真2
2004年撮影1999年撮影

結成から2年、交流が生まれる場所づくりとして、緑の募金事業による未来の“桜の丘公園づくり”に取組み、苗木25本の植樹から春と秋の囲い作業を5年間繰返して、ようやく一本立ちを迎えた2004年の6月、間伐材による皆で建てた山小屋(休憩所)の完成は大きな感動でした。

ところが、その年の10月に発生した中越大震災と2年続きの大雪には雪国おこしの難しさを痛感し、活動停止も考えましたが崩壊を免れた山小屋と少しずつ成長を続ける桜に勇気付けられ、その後の活動が再開されました。

第2話 雪ふる里構想

雪ふる里構想の写真
2006年撮影

雪ふる里構想とは

交流の場が生まれる場所づくりとして始まった“こんぱすの森づくり”を機に、地域で開催される3年に一度の「大地の芸術祭」を通して様々な交流が育まれました。

しかし、一過性のイベントに空しさと不安を感じながら将来的に創りたい、残したい“雪国のふる里づくり”の夢が「雪ふる里構想」になりました。

雪国は、雪の少ない地域より想像以上の負担と不安が多く、一年の半分が雪を中心にした特有の文化と時間の流れがあり、その伝統的な暮しの中には高度成長期の“落し物”“忘れ物”が沢山残されています。

「雪ふる里構想」は、雪国を通して人と自然の再生を促す交流拠点づくりを目指すものです。

人と自然の再生工場

人と自然の再生工場の写真
2010年撮影

「雪ふる里構想」では、雪国を“人と自然の再生工場”と考えています。現代社会は経済成長を続ける一方で自然災害が頻発し、その原因や二次的な人災の影響を危惧する声が聞こえてきます。

「現代社会は便利さや豊かさと引換えに大切なものを失っている」とも言われ、人と自然の環境は速度を上げて大きく変化し続けています。

幸いにも、私達の雪国は自然界を無視した合理的な暮しではなく、厳しさの中で人と自然の共生を余儀なくされ、人と人を繋ぐ“時・心・命”の大切さを伝える暮しがあります。

雪国は雪が降ることで全てがリセットされ、毎年、新たな芽吹きを迎える“人と自然の再生工場”です。

第3話 雪ふる里村の誕生

雪ふる里村の誕生の写真

雪ふる里村とは

「雪ふる里村」は、“雪の降る里、雪の故郷”のイメージから命名され、1998年から続けた「こんぱすの会」を再編成し、雪国の交流拠点づくりを目的に設立されました。

これは、これまで取組んできた“こんぱすの森”と隣接する土砂採取事業の跡地活用計画として、地域活性化に向けた「雪ふる里構想」を具現化する“都市農村交流の拠点づくり”に取組む実行組織でもあります。

都市農村交流の拠点づくり

“都市農村交流の拠点づくり”は中越大震災「地域復興支援事業」として立案され、東京ドーム2個分の計画地は、数十年来の管理放棄地と土砂採取事業による更地状態の土地で、農地・山林・原野を再生活用する正にゼロからの開拓事業となりました。

一方で、土地所有者との関わり方や整備資金等の課題が山積する中で、支援事業によるコンサルタントの助言指導や、会員及び協賛者と高齢化が進む農家の方々との連携と協力で、3年計画の最終目的である拠点施設づくりへと進められました。

お電話でのお問い合わせ:025‐761‐7123

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